有名な「最後の晩餐」について評論家や学生らが意見を述べたり
分析したりと・・・・興味深かった。
芸術に造詣があるわけではないので・・・・
本質的なことは何もわからないのだが今日は「最後の晩餐」について・・・
中学校の美術のY先生は当時としてはとても先進的なタイプだったのだろう・・・
単に若い女性であったから記憶に残っているのだろうか?
(申し訳ないが女性として魅力的だったかどうか?
顔などははっきり思い出せない・・・)
結構(当時の)教師らしからぬやや派手な服装やミニスカートだった(?)か・・
海外旅行などに出かけ、ルーブル美術館の絵の写真(?撮影できるのか?)の
スライドなどを見せてもらった記憶がある。
絵に関する説明はおもしろく熱っぽく語っていたような気がする。
先生から「最後の晩餐」について教えてもらったことがあったような気がする。
(どうせまじめに聞いていなかったのかも・・・・)
そのときの記憶・・・・
*「最後の晩餐」はキリストと13人の使徒とを描いた絵である。
*ユダという使徒がキリストを裏切った。
*「このなかの1名が私を裏切った(売った?)。」とキリストが言ったので
皆が騒いでいる場面である。
*キリストを中心に人物や部屋の柱や梁などが放射状に描かれた構図で、
見る人の視線を中央に引きつける役目をしている・・・・
*光が差し込み人物の顔を照らしているが裏切り者のユダの顔には
光が当たらないように描かれている。
*ダ・ビンチの制作はなかなかはかどらなかったので、
依頼した教会の管理者が催促すると・・・
ダ・ビンチは
「ユダの顔のイメージがわかず制作が遅れている、そんなに急ぐなら
あなたの顔をモデルにユダを描こうか?」
と、言ってかわした。
さてさて・・・・
ダ・ビンチは絵が上手だから好きである。
????・・・・画家だから当たり前??
私は抽象絵画や前衛芸術に基本的に興味がない。
(単に感性が鈍いだけかも・・・・意義を認めないわけではない・・・が)
写実的な絵画が断然好きである。
「モナリザ」や「洞窟のマドンナ」など写真以上の写実・・・・と思う。
「最後の晩餐」はあまり好きな作品ではない。
わざとらしい構図がやだ。
だからあまりちゃんと鑑賞したことがない。
先日テレビを見ていて大きな勘違いに気づいた。
まったく間抜けな勘違いで、われながら恥ずかしい。
その勘違いとは・・・・
「私が今までユダだと思っていた人物が別人だったことである。」
キリストの右手にいる自分の顔を指さして・・・・
「まさかオレッチがうらぎるわけはね〜だべ〜!」
と言っている(かどうかはわからないが・・・)人物だとばかり思っていた。
黒い髭が印象的なこの男・・・・実はトマスだそうだ。
(ゴメンよトマス!)
ユダは左の方で財布を握っていた・・・・たしかに光が当たっていない。
なんと、私はそこに人物がいるかどうかさえ気がついていなかった。
(ゴメンよユダ!)
さらに、番組では若い学生(イタリアの大学?)がいろいろと分析していたが・・
私の感じ方と随分食い違いがある・・・・・
当たり前だ・・・・
キリスト教徒あるいは、熱心に信仰してないとしても幼い頃から
キリスト教文化の中で育った彼らと、日本人の私と感じ方が違うのは当然だ。
(少なくとも)私は「最後の晩餐」の話を聞くより先にダ・ビンチの「最後の晩餐」
を見たのである。
学生達は聖書を読んだり、子供の頃聞いた説話として
「最後の晩餐」知っていたし、その「機微」も有る程度理解していたはずである。
信仰する心より先にダ・ビンチの絵・・・・多くの日本人なのではないか?
考えてみれば、多くの人々が文盲だった時代に描かれた絵だ。
もともと、信仰に関心のない愚かな大衆(?)に布教する・・・・という
目的もあったはずである宗教画としても、この作品は一流なのだろう。
なにせ、何百年たった現在、東洋のキリスト教化されていない国の
教科書にこの作品が印刷され、何千万という人がこの作品に触れているのだ・・・
ダ・ビンチの絵が元で聖書に関心をい持つ人だって少なからずいるはずだ・・・
こうして考えるとあのわざとらしい構図にも意義が出てくるね・・・・!
おまけ
*ダ・ビンチ以外の人が描いた「最後の晩餐」の絵を見てみたいな・・・
ダリとか描きそうだし、ダ・ビンチ以前のごく形式的な宗教画を見るのも
おもしろそうだ。
*レンブラントの「夜警」やダビッドの「ナポレオンの戴冠」など
群像について鑑賞してみるのもおもしろい。
「夜警」は中央の人物が前にでっぱったように描かれていて
「最後の晩餐」とは逆の雰囲気だが・・・・意識して描いたのかな?
なんだかまとまらないけど・・・今日はここまで!

