私は思いきり「見栄っ張り」である。
「中身が大切」・・・と、口では言いながら、めちゃくちゃ体裁にはこだわる。
まあ、このことがすべて悪い結果につながるとまでは思わないが、
大抵良いことはない。
常に見栄を張っていると、結構ストレスがたまる。
やせ我慢していろいろな仕事を安請け合いしてそのうちに首が回らなくなる。
自分の頭の中の整理がつかなくなって、失敗につながったり、必要以上に
疲れたり・・・・・
それから、「見栄」の反動なのか・・・・
親しい人には、
自分の「非力さ」「醜さ」をさらけ出したい衝動にかられて、
飲酒時に愚痴ったり、暴言を吐いたり、必要以上に猥雑な話をしたり・・・と、
ろくなことはない。
今は一応反省しているつもりだが・・・・
気がつくとまた・・・
「見栄を張ってストレスをため、アルコールで発散・・・」の悪循環。
心にも体にも良くないだろうに・・・・
私が「見栄を張って失敗した」記憶・・・その1
小学校入学前だったか、扁桃腺の手術をした。
手術を終え、1週間ほど入院した。
のどを手術したから、最初はお粥しか食べられず。
食べることは苦痛であった。
もともと、体が弱く、偏食もひどかったから、
回復してふつうの食事が可能になっても病院の食事を残すことが多かった。
入院患者の中で子供は私ひとりだったから、
食事を残すことを妙に心配してくれる人がいて・・・・
ある日、婦長さんらしき人が来て・・・・
「Kちゃん、あんまり食べないね〜・・・そうだ、
明日のお昼はKちゃんの好きなおかずにしてあげよう。
何がいい??」
と、親切に尋ねてくれた・・・
正直言ってこの申し出は私にとってうれしかったし、
「感謝」の気持ちも子供なりに感じた。
素直に好みのメニューを言っておけば何も問題はなかったのだが・・・・
このときとっさに頭に浮かんだのが「タラコ」だった。
口を開こうとして一瞬躊躇した。
6才の間抜けな子はこの頭はこんな事を考えた・・・・
よくタラコ、タラコ・・・・・といっているが、
それは幼児語であって「コ」は幼児語独特の接尾語ではないか???
この考えは間違っていたのだが、
見栄を張って5才の私は答えた。
「タラ」
「タラ?・・・・本当にタラでいいの?」
やや、怪訝そうに婦長のおばちゃんは病室を後にした。
付き添っていた祖母も・・・・
「Kちゃん・・・タラなんて食べたっけね〜?」
と不思議そうだったのをはっきりと記憶している。
白身魚のフライや冷凍すり身でいろいろな食品につかわれるタラだが
当時は「猫またぎ」などといっておいしくない魚の代表のように言われていた。
まして、5才当時の私は魚などほとんど食べなかったのだ。
果たして・・・・
次の日の昼食にはタラ(確か煮魚だったか?)が出た。
例の婦長さんがにこにこしながら、
「Kちゃんの大好物のタラだよ〜たくさん食べてね!」
子供の喜ぶ顔が見たくてたまらなかったのだ・・・・
純粋な立派な方だったのだ・・・・
5才の少年はその純粋な気持ちに答えることはできなかった。
煮魚にはほとんど手をつけず・・・・
罪悪感はあった・・・・食事の後ちょっと廊下に出ると、
あちこちの病室から食べ残されたタラの膳が運び出されていた・・・
他の病人にもタラは不評だったに違いない・・・・
子供心に・・・・素直でない一言が多くの人々に迷惑をかけた
思い切り・・・暗い気持ちになった。
見栄を張るなら張るで・・・・
婦長さんの前で苦手な魚料理を笑顔で平らげる気力があったなら・・・・
それはそれでよかったのだけど・・・・
苦い思い出である。

