2007年05月31日

思い込み

間違えて覚えてしまったり、
自分勝手な解釈をいつのまにか真実と思いこんでしまうことってよくある。
(1)しかぞすむ
「わがいほは みやこのたつみ しかぞすむ よをうじやまと ひとはいうなり」
喜撰法師の歌である。
「しかぞすむ」とは・・・・ひっそり暮らしているとか、遁世しているとか
いった意味らしい。
でも、「鹿が住んでいる」という誤解が昔からあったそうだ。
誤解をうけて当然かな??

(2)膏肓
「コウコウ」と読むのが正しい。
漢方医療の用語で
「病膏肓に入る」というと「不治の病」をさす。
「コウコウ」と読むのが正しいのだが、「肓」を「盲」と読み間違えて、
「ヤマイコウモウニイル」に言うことが多いらしい。

「痔」の人は「病肛門に入る」(うそ!)

(3)スイートルーム
「・・・本日はおめでとうございます。
ホテルスイートルームのキーでございます・・・」
ホテルでの披露宴で新郎新婦の当日の宿泊先・・・ということで、
ホテル側の代表者から部屋のキーが渡されるセレモニーをよく見かける。
スイート」を「sweet」と思いこんでいた私は、
いくら新婚だからといって「甘い部屋」などと・・・・なんだか軽薄な感じがして、
耳にするたびに、不快な気分になっていたが・・・
「スイートルーム」は「suite room」なのだと何年か前に知った。
続き部屋のことである。
音楽で組曲のことを「suite」というのを知っていたのだから
気がついてもよさそうなものだが・・・・・

ほかにも勘違いしたまま知ったような気になっていることがたくさんあるんだろうな!
posted by 上野守 at 22:55| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月22日

愚問

つい先日、今年初めて蛙の鳴き声を聞いた。
草むらで一匹だけで鳴いているようだ。
私に家の前の周辺には農地が多い。
家のすぐ前のもやがて水がひかれ水田になるはずだ。
水田では今年もたくさん蛙がやかましく鳴くことだろう・・・・
・・・・日本の風物詩のひとつである。

さて、子供のころからつい最近まで不思議に思っていたことがあった。
時期になると乾いた土地に水が引き込まれ水田になる。
水田に蛙が集まってきて、盛んに鳴く、餌を食べたり・・・生活の場となる。
やがて産卵しオタマジャクシがあちこちの水田で見られるようになる・・・・・・
しかし、これでは蛙が人間の農業の都合に合わせて生活していることになり
自然のリズムが狂ってしまうのではないか?・・・・と

なんと、愚かな疑問であろう!
そんな風に思う方がおかしい。
米は人間の都合に合わせて栽培されているのは確かだが
もともとは野生の植物だ。
多少の改良は施したろうけれども人間が米の生長に合わせて農業を営んでいることに
変わりはない。
さっきの蛙にしたって、山の雪が解けてあちこちで沼や湿地ができ、
ある程度水温が上がると産卵のために集まってきたのである。
別に人間の都合に合わせて集まってきているわけではない。
そもそも稲作は自然の湿地で行われていたものが今日の形態に発達したことも
小中学校レベルで教わっているはずだ・・・・・・・・
古代は人間も蛙と同様に水のたまった沼地に稲作をしに集まってきていたのだ。
なんでも人間中心に考えてしまう悪い癖が特に私には強いようだ。
いい大人になるまで上記のような疑問を持っていたこと自体が恥ずかしいことなのだ。
タグ: 農耕
posted by 上野守 at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月20日

交響曲第4番と「カスタネットの踊り」

さて、説明を聞いてある程度知識をもってから好きになった曲というのが
いくつかある。
基本的には通俗的な作品を好み・・・・美しいメロディ、わかりやすい構成、
色彩的なオーケストレーション・・・がその曲を気に入る条件・・・だが・・・
始めて聴いたときには何とも思わなかったのに・・・
説明を読んだり、背景についての知識を得て興味がわき
好きになった曲も・・・・中にはある。

チャイコフスキーの交響曲第4番は人気のある交響曲のひとつだが、
華々しく明快な第4楽章
壮大で・・・「これでもか」・・と、クライマックスを作って迫る第1楽章
憂鬱げで且つ美しいメロディの第2楽章・・・は、
1度聴いて好きになったが・・・・弦楽器のピチカートがお気楽感じ・・・の
第3楽章は・・・・どうも好きになれなかった。
そう・・・なんだか「とりとめがない」感じで・・・・個性がはっきりしないし・・・

が!

ある時ミニスコアの説明文を読んで・・・・急にこの曲が興味深いものと気づくようになった。
説明は・・・おおよそ・・・
「酒を飲んで・・・酩酊したときの・・とりとめのない心情を表したもの・・・
弦のピチカートは・・・晴れ晴れとはしないが悲しくもない感情・・・
続く木管楽器のフレーズは民謡調の踊りの曲の記憶・・・・
続く金管楽器のフレーズが軍楽隊の通り過ぎた・・・曲の断片・・・」
といったようなものだったように思う。
「いいね〜これ」酔っぱらいの私にはぴったりだね!
冬の昼下がり昼寝をしながらいろいろと・・・・無意味な思考をしたり
うとうとして・・・浅い夢を見たり・・・
「夢かうつつか?」みたいに・・・時間だけが過ぎていくって・・・こと
あるよね!・・・・・・少なくとも私はそういった時間がけっこうある。
「とりとめがない」・・・・が、この曲の「個性」だったわけだ!

中学校の時、初めて本格的に音楽に興味が出て、
小学校の時には全くと言っていいほど吹けなかった「リコーダー」なども
吹くのが楽しみになってきた。
暇なときなど、音楽の教科書に載っている曲を手当たり次第に
リコーダーや吹奏楽部で担当していたサックスで吹いてみた。
歌劇「カルメン」よりカスタネットの踊り・・・という曲がリコーダーの譜面として
載っていて・・・・これを吹いてみた。
「????」
一回吹いてみた感想は・・・・「味気ない曲」・・・である。
「カルメン」が有名なオペラで、その中の器楽曲や声楽曲が軒並み人気曲と
なっている「らしい」という事ぐらい知っていたから・・・・
なぜ「この程度のメロディ」が取り上げられるのか?・・・疑問に思った。
「リコーダーで中学生が吹くのに簡単で良いから・・・」程度にしか
この曲の意義を考えなっかった。

それから・・・何年がすぎたろうか?
「闘牛士の歌」「ハバネラ」「アラゴネーズ」「アルカラの竜騎兵」
「セギリディア」「花の歌」「手紙の2重唱」「ジプシーの踊り」
「衛兵の交代」・・・と、次々に名曲を覚えていったが・・・・
例の「カスタネットの踊り」は・・・記憶から消えそう・・・・いや!
不思議にその「味気ない」メロディがなぜか消えない。
ただ・・・・・ただ、上記の「名曲」たちの中に・・・
それを加える気にはならない・・・という不思議な存在となっていった。

それから・・・また・・・何年かが過ぎ・・・・
「カルメン」を生で鑑賞することになった。
別に外国の有名な劇団のを鑑賞したわけではない・・・・・
日本版を地元の市民文化会館で・・・・
それにしても・・・・器楽曲一辺倒で、声楽曲にはほとんど興味のなかった私が・・・
オペラにそれだけの予算と時間を割くのは全く珍しいことであったことに違いはない。
理由は・・・簡単で・・・そのときのデートの相手が声楽好き・・・とりわけ
「カルメン」のファンであった・・・と
そういうことなのだが・・・・

さて、1幕、2幕・・・と場面はすすみ
主人公のカルメンが相手役のホセを人気(ひとけ)のない酒場のフロアに迎え入れ・・・
「ラララララララ・・・・・」と何気なく歌い出したのは
例の「カスタネットの踊り」!
ひとしきり歌い踊ったところで遠くからラッパの2重奏が聞こえ始める・・・
これは・・・ホセに「帰営」を命ずるラッパであり・・・・
彼はカルメンに歌と踊りをやめさせようとするが・・・
(百戦錬磨?の)カルメンはラッパの音に合わせて歌い踊り
ホセの恋心を試そうかとでもするよう・・・・
やがてラッパは鳴り終わり・・・ホセに「恋愛か仕事か?」を選択する
タイムリミットを告げる。
なんと・・・こんな切ない場面
ある意味で一番機微の細やかな場面ではないか?!
カルメンの歌がある意味で味気なかったのは素朴な信号ラッパをバックに
歌うという・・・必然性があったわけだ!
ラッパの音は演奏では最初ピアニシモ・・・・やがて少しずつクレシェンド
カルメンの歌に合わせて抑揚を付けるように・・・・
実際の信号ラッパは単調に機械的に鳴らされているはずなのだが、
信号ラッパとカルメンの歌を同時に聞いて心を乱しているホセには
ラッパが心に迫るようにクレシェンドしたり、最後は消え入るように
虚しく響いたりしたに違いない・・・・
なんという細やかな描写!!!!!
それ以来・・・・「カルメン」の中でも最も好きな場面がここ!

よく考えてみると・・・
相反する心情が同時進行する場面、
音楽に遠近感を与えた場面、が「カルメン」には非常に多いことがわかる。
その技巧のすばらしいこと!

前述したチャイコフスキーの4番3楽章も
影響を受けたのかも知れない。
チャイコフスキーの代表作「ヴァイオリン協奏曲」の6つの主題が
すべて歌劇「カルメン」の曲に基づいている・・・と
つい最近あるHPで知ったしね・・・・

さっきのデートの相手に「好きなクラシック曲は?」と尋ねられたとき
「チャイコのヴァイオリン協奏曲」と答えたような気がするが・・・
まあ・・・偶然かな?
posted by 上野守 at 19:18| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月13日

オペラを聴く??

さて、一応趣味のひとつに「クラシック音楽の鑑賞」を揚げている・・・・私
せいぜい、車の中などで気に入った曲のテープやFM放送を聴いたり、
よほど気が向けばCDを買ってくる・・・程度なのだが・・・・

最近は日本のクラシック界もオペラがブームなようで、
群馬のような地方にもオペラの公演がやってくる機会が増えた。
まあ、私の様な貧乏人はオペラを鑑賞する経済的余裕も時間的余裕もない・・・のが
実態だ。
おそらく、一生「オペラの何たるか?」を理解し得ないまま死んでいくことだろう。
だいたい、10代の頃の吹奏楽への没頭から音楽に親しみだした私は
当初「声楽曲」には全く興味が無かった。
オペラの中の声楽曲が・・・・「いいね〜」と思えるようになったのは
つい最近のことである。

さて、自己分析をするというのは結構興味深いので・・・・私が
どれほど「オペラ」について知識、理解・・・があるのかちょっとまとめてみよう。
私とオペラの関わりを次の5段階に分けてみた(笑)

1,一応全曲を鑑賞したことがあるもの
  (もちろんテレビ、FM、CD、ビデオによるものがほとんど)
・モーツァルト 「魔笛」「フィガロの結婚
・プッチーニ  「蝶々夫人」「トゥーランドット」
・ベルディ 「アイーダ」「リゴレット」
・ビゼー 「カルメン
ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
・マスカーニ 「カヴァレリア・ルスティカーナ」
・レオン・カヴァロ 「道化師」
・ウェーバー 「魔弾の射手」など

2,複数の声楽曲や器楽曲を聴いたことがあり、ストーリーや雰囲気もおよそわかってい 
るもの・・・ようするに知ったかぶって話が出来る程度のもの(笑)
・モーツァルト 「ドン・ジョバンニ」「後宮からの誘拐」
・シュトラウス 「こうもり」
ロッシーニ 「セビリアの理髪師」
ヴェルディ 「椿姫」
・ワーグナー 「さまよえるオランダ人」「ローエングリン」
        「ニーベルンクの指輪」4部作
・プッチーニ 「ラ・ボエーム」など

3,声楽曲を1〜2知っている程度のもの・・・()内曲名
・ヘンデル 「クセルクセス」(オンブラマイフ)
・プッチーニ 「ジャンニスキッキ」(私の愛しいお父さん)
       「トスカ」(星は光ぬ)
・ビゼー 「真珠採り」(耳に残る君の歌声)
・ベルディ 「イル・トロバトーレ」(アンビルコーラス)
・レハール 「メリー・ウィドウ」(ヴィリア)など

4,序曲や間奏曲、舞曲など・・・演奏会でよく取り上げられるポピュラーな器楽曲
  のみを聴いたことがあるもの()内曲名
・ベートーベン 「フィデリオ」(序曲)
シューベルト 「ロザムンデ」(間奏曲)
・ベルリオーズ 「ファウストの劫罰」(ラコッツィー行進曲)
・サン・サーンス 「サムソンとデリラ」(バッカナール)
・チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」(ポロネーズ)
・ロッシーニ 「ウィリアム・テル」「セミラーミデ」「どろぼうかささぎ」
       「絹のはしご」(いずれも序曲)
・ベルディ 「運命の力」「ナブッコ」(いずれも序曲)
・ボロディン 「イーゴリ公」(ダッタン人の踊り)
・オッフェンバック 「天国と地獄」(序曲)「ホフマン物語」(舟歌)
・プッチーニ 「マノン・レスコー」(タイスの瞑想曲)など

5,名前だけは聞いたことがあるもの・・・
・ベルディ 「オセロ」「仮面舞踏会」「ドン・カルロ」
・モーツァルト 「女はみんなそうしたもの」「タメルラン」
・ムソルグスキー 「ボリス・ゴドノフ」など・・・



全く・・・・寂しい限りなのだ。

ビゼーの「真珠採り」のアリアなど・・・・
イージーリスニングの「真珠取りのタンゴ」のほうが耳に残ってしまっているし(笑)
一応歴史には多少自信があるので・・・・
「ナブッコ」はアッシリアのネブカドネザル2世
「タメルラン」はチムール
(あ、チムールは「トゥーランドット」にも出てたな〜・・・)
「クセルクセス」はアケメネス朝ペルシアの王・・・・
くらいはわかるが、それぞれの人物がオペラのなかでどんな役割演じているかも
全く知らない。
人物の名前にしても・・・・
「トスカ」はテノールのアリア「星は光りぬ」しか知らないから・・・
何となく男性の名前と思いこんでいたし(もちろん女性・・・・aで終わってるし)
逆に「エフゲニ・オネーギン」は女性の名前と思いこんでいた・・・
たぶん「オネー」=「お姉」の連想(笑)だろう・・・バカだね〜

さて、「私の愛しいお父さん」の「お父さん」て、どんなおとうさんなのかな?
あの曲すばらしく美しくやさしい女性のアリアだけど・・・
どうしても星明子と星一徹が思い浮かんでしまう・・・・・ま
どっちでもいいか・・・・













posted by 上野守 at 10:33| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月12日

誕生石

貧乏な私が珍しく「宝石」の話題。
「誕生石」について・・・
1月がガーネット、2月がアメジスト・・・・
というように1月に1種類の宝石が決まっている・・・
自分の生まれた月の宝石が「誕生石」。
さらに、誕生石を身につけていると幸福になれるとか(?)いう話もあるらしいのだが、
ちょっと気になることがある。
それは、それぞれの宝石に「ランク」があるということだ。
4月の誕生石のダイヤモンドは誰もが認める最高の宝石。
ルビー、サファイア・・・なども人気者である。
反面・・・一番地味なのが8月の瑪瑙であろう。
以前、新聞に連載されていた「真夜中の太陽」というエッセイの中にも
この話題があり・・・
8月生まれのお嬢様が自分の誕生石が瑪瑙であることを人生の一大事のように悲嘆する
といった内容がユーモラスに描かれていたが・・・
私自身にも実はこれにまつわるエピソードがある。

ずいぶん前のことだが・・・・
成り行きで8月生まれの女性に宝石をプレゼントすることになって・・・
流行やしきたりにはあまりこだわらない私がなぜかこのときは・・・
「誕生石」に固執して苦労した。
確かに、瑪瑙は地味で若い女性に似合うデザインのアクセサリーが見あたらない。
(カメオなどで美しくすばらしい作品もあるが・・・)
おそらく・・・・売る側にとってもこれは不都合を感じたのだろう・・・
8月の誕生石は「瑪瑙またはペリドット」・・・と、
しっかり代替え品が用意されている。
あるいは「ペリドット」を加えるようになったのはつい最近のことかも知れない。
「ペリドット」・・・・さわやかな緑色の美しい石である。
若い女性のアクセサリーにも最適・・・といいたいところだ・・・が

さきほどふれた宝石のランキングだが・・・
最高とされるダイヤモンドは美しさと共に最高の「かたさ」をもっている。
モースという人の分類では「硬度10」というかたさだ。
ルビー、サファイアが「硬度9」
エメラルド、トパーズ、ガーネットなどが「硬度8」程度
ここまでは相当かたくふつうの金属などでは傷をつけることができない。
アメジスト、オパール、瑪瑙・・・などになると「硬度7」前後・・・
「硬度7」というと花崗岩などに含まれる「石瑛」と同じかたさで、
悪く言えば・・・そこらに転がってる石と同じ様な堅さ・・・と言われても
おかしくない。
アメジストや瑪瑙などは石瑛の結晶である「水晶」に
不純物が色を添えたものであるから・・・
そこらの石と「仲間」と言っても言い過ぎではない・・・と、思う。

ただし、誤解をまねかいないように・・・付け加えると・・
アメジストや瑪瑙などはダイヤモンドよりずっと大きな結晶が宝飾に用いられる
のがふつうであり、「大きい結晶」の希少価値でこれらの石も人気を得ている。
また「不純物」という表現が何か悪いイメージを与えたかも知れないが・・・
宝石の多くは不純物を含んでおり、
ルビーの赤も、サファイアの青も「不純物」によるものである。

さて、話を「硬度」にそしてペリドットに戻そう・・・
ペリドットは和名を「かんらん石」という。
火成岩などに含まれる鉱物だが・・・中東などで大きな結晶が取れ、
宝飾に用いられるようになったらしい。
かたさは「硬度6」前後・・・・こうなると
かたさだけのランクでは瑪瑙より下位ということになり、
口の悪い人なら「宝石とは言えない」と解釈を与えるかも知れない。

さて、実際に宝石店に足を運んでみると・・・・
やはり瑪瑙はカメオ中心でなかなか若い人向きのデザインのアクセサリがみつからない。
また、ペリドットに関しては・・・商品数そのものが少ない・・・
(群馬だからかも!)
ある店で「おっ!」と驚くような大きな石の指輪を見たがこれは「ん十万円」と高価
だし・・・第一大きすぎて・・・
あとは逆にいかにも「ちょっとした」という感じの安い物・・・と極端。

さて「結論」は・・・・
最後に行った・・・一番信用できそうな宝石店。
専門的な話をわかりやすくしてくれ親切だった・・・
「誕生石は昔宝石店の組合が勝手に設けたものでそれほど伝統のあるものではない
のでこだわる必要はない。
自分の好きな色やデザインを選べばよく・・・
ダイヤモンドやルビーなど人気のあるものなら商品数も多いから、
デザインや価格を自由に選べる・・・」

そしてプレゼントはダイヤモンドに決定!
ダイヤモンドを受け取った女性の笑顔が美しかった・・・






posted by 上野守 at 06:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月07日

最後の晩餐

いつだったか・・・・テレビでダ・ビンチの「最後の晩餐」関する番組をやっていた。
有名な「最後の晩餐」について評論家や学生らが意見を述べたり
分析したりと・・・・興味深かった。

芸術に造詣があるわけではないので・・・・
本質的なことは何もわからないのだが今日は「最後の晩餐」について・・・

中学校の美術のY先生は当時としてはとても先進的なタイプだったのだろう・・・
単に若い女性であったから記憶に残っているのだろうか?
(申し訳ないが女性として魅力的だったかどうか?
顔などははっきり思い出せない・・・)
結構(当時の)教師らしからぬやや派手な服装やミニスカートだった(?)か・・
海外旅行などに出かけ、ルーブル美術館の絵の写真(?撮影できるのか?)の
スライドなどを見せてもらった記憶がある。
絵に関する説明はおもしろく熱っぽく語っていたような気がする。
先生から「最後の晩餐」について教えてもらったことがあったような気がする。
(どうせまじめに聞いていなかったのかも・・・・)

そのときの記憶・・・・
*「最後の晩餐」はキリストと13人の使徒とを描いた絵である。
*ユダという使徒がキリストを裏切った。
*「このなかの1名が私を裏切った(売った?)。」とキリストが言ったので
 皆が騒いでいる場面である。
*キリストを中心に人物や部屋の柱や梁などが放射状に描かれた構図で、
 見る人の視線を中央に引きつける役目をしている・・・・
*光が差し込み人物の顔を照らしているが裏切り者のユダの顔には
 光が当たらないように描かれている。
*ダ・ビンチの制作はなかなかはかどらなかったので、
 依頼した教会の管理者が催促すると・・・
 ダ・ビンチは
 「ユダの顔のイメージがわかず制作が遅れている、そんなに急ぐなら
 あなたの顔をモデルにユダを描こうか?」
 と、言ってかわした。

さてさて・・・・
ダ・ビンチは絵が上手だから好きである。
????・・・・画家だから当たり前??
私は抽象絵画や前衛芸術に基本的に興味がない。
(単に感性が鈍いだけかも・・・・意義を認めないわけではない・・・が)
写実的な絵画が断然好きである。
「モナリザ」や「洞窟のマドンナ」など写真以上の写実・・・・と思う。
「最後の晩餐」はあまり好きな作品ではない。
わざとらしい構図がやだ。
だからあまりちゃんと鑑賞したことがない。
先日テレビを見ていて大きな勘違いに気づいた。
まったく間抜けな勘違いで、われながら恥ずかしい。
その勘違いとは・・・・
「私が今までユダだと思っていた人物が別人だったことである。」
キリストの右手にいる自分の顔を指さして・・・・
「まさかオレッチがうらぎるわけはね〜だべ〜!」
と言っている(かどうかはわからないが・・・)人物だとばかり思っていた。
黒い髭が印象的なこの男・・・・実はトマスだそうだ。
(ゴメンよトマス!)
ユダは左の方で財布を握っていた・・・・たしかに光が当たっていない。
なんと、私はそこに人物がいるかどうかさえ気がついていなかった。
(ゴメンよユダ!)

さらに、番組では若い学生(イタリアの大学?)がいろいろと分析していたが・・
私の感じ方と随分食い違いがある・・・・・
当たり前だ・・・・
キリスト教徒あるいは、熱心に信仰してないとしても幼い頃から
キリスト教文化の中で育った彼らと、日本人の私と感じ方が違うのは当然だ。
(少なくとも)私は「最後の晩餐」の話を聞くより先にダ・ビンチの「最後の晩餐」
を見たのである。
学生達は聖書を読んだり、子供の頃聞いた説話として
「最後の晩餐」知っていたし、その「機微」も有る程度理解していたはずである。
信仰する心より先にダ・ビンチの絵・・・・多くの日本人なのではないか?

考えてみれば、多くの人々が文盲だった時代に描かれた絵だ。
もともと、信仰に関心のない愚かな大衆(?)に布教する・・・・という
目的もあったはずである宗教画としても、この作品は一流なのだろう。
なにせ、何百年たった現在、東洋のキリスト教化されていない国の
教科書にこの作品が印刷され、何千万という人がこの作品に触れているのだ・・・
ダ・ビンチの絵が元で聖書に関心をい持つ人だって少なからずいるはずだ・・・
こうして考えるとあのわざとらしい構図にも意義が出てくるね・・・・!

おまけ
*ダ・ビンチ以外の人が描いた「最後の晩餐」の絵を見てみたいな・・・
 ダリとか描きそうだし、ダ・ビンチ以前のごく形式的な宗教画を見るのも
 おもしろそうだ。
*レンブラントの「夜警」やダビッドの「ナポレオンの戴冠」など
 群像について鑑賞してみるのもおもしろい。 
 「夜警」は中央の人物が前にでっぱったように描かれていて
 「最後の晩餐」とは逆の雰囲気だが・・・・意識して描いたのかな?

なんだかまとまらないけど・・・今日はここまで!
posted by 上野守 at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月06日

みえ・・・

実力のない人間ほど見栄を張る。
私は思いきり「見栄っ張り」である。
「中身が大切」・・・と、口では言いながら、めちゃくちゃ体裁にはこだわる。
まあ、このことがすべて悪い結果につながるとまでは思わないが、
大抵良いことはない。
常に見栄を張っていると、結構ストレスがたまる。
やせ我慢していろいろな仕事を安請け合いしてそのうちに首が回らなくなる。
自分の頭の中の整理がつかなくなって、失敗につながったり、必要以上に
疲れたり・・・・・
それから、「見栄」の反動なのか・・・・
親しい人には、
自分の「非力さ」「醜さ」をさらけ出したい衝動にかられて、
飲酒時に愚痴ったり、暴言を吐いたり、必要以上に猥雑な話をしたり・・・と、
ろくなことはない。
今は一応反省しているつもりだが・・・・
気がつくとまた・・・
「見栄を張ってストレスをため、アルコールで発散・・・」の悪循環。
心にも体にも良くないだろうに・・・・

私が「見栄を張って失敗した」記憶・・・その1
小学校入学前だったか、扁桃腺の手術をした。
手術を終え、1週間ほど入院した。
のどを手術したから、最初はお粥しか食べられず。
食べることは苦痛であった。
もともと、体が弱く、偏食もひどかったから、
回復してふつうの食事が可能になっても病院の食事を残すことが多かった。
入院患者の中で子供は私ひとりだったから、
食事を残すことを妙に心配してくれる人がいて・・・・
ある日、婦長さんらしき人が来て・・・・
「Kちゃん、あんまり食べないね〜・・・そうだ、
明日のお昼はKちゃんの好きなおかずにしてあげよう。
何がいい??」
と、親切に尋ねてくれた・・・
正直言ってこの申し出は私にとってうれしかったし、
「感謝」の気持ちも子供なりに感じた。
素直に好みのメニューを言っておけば何も問題はなかったのだが・・・・
このときとっさに頭に浮かんだのが「タラコ」だった。
口を開こうとして一瞬躊躇した。
6才の間抜けな子はこの頭はこんな事を考えた・・・・

よくタラコ、タラコ・・・・・といっているが、
それは幼児語であって「コ」は幼児語独特の接尾語ではないか???

この考えは間違っていたのだが、
見栄を張って5才の私は答えた。
「タラ」
「タラ?・・・・本当にタラでいいの?」
やや、怪訝そうに婦長のおばちゃんは病室を後にした。
付き添っていた祖母も・・・・
「Kちゃん・・・タラなんて食べたっけね〜?」
と不思議そうだったのをはっきりと記憶している。

白身魚のフライや冷凍すり身でいろいろな食品につかわれるタラだが
当時は「猫またぎ」などといっておいしくない魚の代表のように言われていた。
まして、5才当時の私は魚などほとんど食べなかったのだ。

果たして・・・・
次の日の昼食にはタラ(確か煮魚だったか?)が出た。
例の婦長さんがにこにこしながら、
「Kちゃんの大好物のタラだよ〜たくさん食べてね!」
子供の喜ぶ顔が見たくてたまらなかったのだ・・・・
純粋な立派な方だったのだ・・・・

5才の少年はその純粋な気持ちに答えることはできなかった。
煮魚にはほとんど手をつけず・・・・
罪悪感はあった・・・・食事の後ちょっと廊下に出ると、
あちこちの病室から食べ残されたタラの膳が運び出されていた・・・
他の病人にもタラは不評だったに違いない・・・・
子供心に・・・・素直でない一言が多くの人々に迷惑をかけた
思い切り・・・暗い気持ちになった。
見栄を張るなら張るで・・・・
婦長さんの前で苦手な魚料理を笑顔で平らげる気力があったなら・・・・
それはそれでよかったのだけど・・・・

苦い思い出である。
posted by 上野守 at 15:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月05日

カメノコテントウ

 カメノコテントウってこんなにでかいんだ?!
kamenokotento.jpg
posted by 上野守 at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月04日

スラブ行進曲

CDでチィコフスキーの「スラブ行進曲」を聴く。
若い頃一時期チャイコフスキーに夢中になったが、
そのあとしばらくはご無沙汰だった。

チャイコフスキーの音楽は単純明快だから皆に愛されるが、
少しばかり音楽通と言われる人は「玄人」ぶりたくて・・・・
通俗的な作曲家を敬遠する傾向があるから・・・・
私もよくそういった人たちから
「チャイコなんか聴いてるの?」などと言われたものだ。
私の友人達をみていてもストラビンスキーや現代音楽を愛好したり、
逆にバロック以前の古典へと趣味が移っていったり、
ジャズなどに傾倒しクラシックを離れていったり・・・・するのが
「正常進化」のように見える。
私自身もいろいろと趣味を広げていった・・・・
ところが・・・いつの間にか・・・・
「鑑賞」が生活から消えてしまった。
仕事が忙しい、実際に演奏したり指揮したりが趣味になり、
あるときはこれらが仕事の一部のようになったり・・・
パソコンを始めてMIDIに時間を費やし・・・
余暇に音楽を鑑賞する気分ではなくなっていたのだ。

今こうしてCDを聴きながら・・・
若い頃(10代のころ)飽きもせずチャイコフスキーを聴いていた頃が
音楽に対する神経がとぎすまされていたな・・・
・・・と、感じる。
posted by 上野守 at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする